2017ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム TV放送

1:
毎年、観てるんですが、速さを撮れてないんだなぁ(溜息)。
リッター越えモーターバイクで追走して撮影してるんだけど、その映像が殆ど出て来ないの残念。
このバイクのパイロットとカメラの人は白人らしく、フランスから呼んだんじゃない?
ちゃんと撮れる人達だろうから、もっと使って欲しかった。
自転車ロードレースの中継の醍醐味は選手の横、後、近く1mで一緒に走りながら撮った映像を観られる事で、
他のスポーツに無い事。
世界レベルのロードレースの選手たちは、平地で流しても30kmh、飛ばすと40kmh、スプリント勝負なると70kmh、
長い下りだと90kmh、で走るんですから、凄い映像になります。
勿論、速さだけならモータースポーツや飛行機に敵いません。
自転車レースはエンジンではなく、人間の力で出すんですから、その超人振りが素晴らしい。


2:
さて、このレースは国際自転車連(UCI)に認可されていません。
だから、チームジャージー以外のツールのマイヨージョーヌとか着て走れます。

また、このレースは本気のレースではなく、顔見世興行。
ファンが喜ぶような展開と結果になるもの。
フランスのツール後のクリテリウム、オランダやベルギーならケルメス、これらのレースはそう言ったものなのです。

プロがなぜそんなレースを走るのか?
賞金も出ないようなレースに?
顔見世料、出走料が出るからです。

その昔、アームストロングの全盛期、プラハのクリテリウムに出た時、
顔見世料は200,000ドルだったらしい。
22,000,000円位。
移動に時間は掛かっても、実際に走るのは1時間。
この金額なら行くでしょう。

勝負がどうのこうの、選手が本気で走ってないとか、言うレースではありません。
単なる模範レース、選手が走ってるのを見て喜ぶだけのレースです。


3:
今回の放送で印象的だったのは、
9分47分付近で出た白黒写真。
1969年ツール、第20区間、ブリヴ~ピュイ・ド・ドーム、198㎞
ピュイ・ド・ドームを登る優勝したピエール・マティニャンだな。
ピュイ・ド・ドームはミシュランの本社(?)がある、クレルモンフェランの裏山(笑)。

この人、この時、総合順位で最下位。
でも、この区間、優勝しちゃった(@_@)。
絶好調のエディ・メルクスも結局追いつけなかった。
だから、この写真、意外と有名(笑)。

総合最下位で区間優勝なんて、確か、他に一人いるだけ。
昔のロードレースは、ツールだけでなく、こういう面白い事が多かった(^.^)。

まぁ、こんな写真嬉しがるのは、他に少々(笑)。


4:
TV東京の放送だから、関東地方だけかもしれませんが、
地上波で自転車ロードレースを放送してくれるのは、大変ありがたい。

TV東京の皆さん、毎年有難う




タグ クリテリウム





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テーマ : 自転車ロードレース
ジャンル : スポーツ

大宮政志選手とエディ・メルクス?

最近、自爆した(笑)朝日新聞。
特に好きだから読んでる訳でもなく、単にオヤジが購読していたから続けているだけ。
月額購読料が高いんでそろそろ止めようかと思案中。

オヤジは転勤族だったんで、家が変わる度に新聞が変わってたわが家。
毎日、赤旗日曜版、日経、読売、朝日、スポニチ、等を取ってましたなぁ…

2014年10月4日(土)、夕刊。
TV面の上に出てる「東京オリンピック物語 自転車ロードレース」
古いロードレースファンなら御存じ、あの大宮政志氏を紹介。
(参考Wiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E6%94%BF%E5%BF%97)

左下の写真、キャプションが
>ライバルのベルギー選手と談笑する大宮政志選手

その談笑する相手が、どう見てもエディ・メルクスなんだなぁ(@_@)。


私の様に古いロードレースの話が好きな方にお勧めの話題でした。



タグ 大宮政志 エディ・メルクス 東京オリンピック



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今年も出ました、ツール・ド・フランスの巨大ポスター

JR山手線、目白駅線路沿いのデサント本社ビル。
今年もルコック・スポルティフのツール宣伝ポスターが登場。

デサントのHPには何も書いてません。
去年は巨大ポスターと同じ画像が在りましたが、今年は無し。
(参考 デサントHP→http://www.descente.co.jp/http://www.descente.co.jp/)

お暇な方は目白駅へ行ってはいかが?



タグ デサント本社 目白駅 ルコック・スポルティフ マイヨージョーヌ ツール・ド・フランス


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キャパが写した1939年ツールも展示予定の『101年目のロバート・キャパ』展 

★場所
東京都写真美術館

★期間
2014年3月22日(土)~5月11日(日)
午前10:00~午後6:00

★HP
https://syabi.com/contents/exhibition/index-2149.html

1:
かの有名なロバート・キャパがツールを取材したのを御存じだろうか?
1939年のツールを取材したんですが、この辺の事は

『キャパ その青春』
リチャード・ウィーラン著
沢木耕太郎訳
文藝春秋社刊

に書いてあります。
(1988年6月26日第一刷の単行本では、p,291)

キャパの写真集にはたいてい数枚入ってます。

2:
日本にもプリントが在るんですが、八王子の東京富士美術館なんで行く気なし(笑)。

今回の展覧会のチラシにも2枚使われています。
残念ながらHPには在りません。


3:
『キャパ その青春』に書いてある通りレースそのものより観客を写した写真が多い。


4:
私の様にロードレースのカッコ悪い面も好きな方にはお勧めです。



タグ ロバート・キャパ ツール・ド・フランス



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2013年ツール・ド・フランス、NHK総合での放送

★放送
2013年8月8日(木)
午前1:55~3:35

1:
いや~、さすがHD、ハイビジョン、エラい画像が鮮明(@_@)、
ま、当然だけどね。

函館とローマって北緯41度でほぼ同じ。
だもんでフランスは更に北に有るから、北海道より遥かに冷涼。

アルプスやピレネーの2,500m以下の峠は日本の3,000m級の山頂より荒涼としてるし、
植物が無いのも低温のため。
そういう山岳区間だけでなくても、光の冷たさから低温が分かるカットが少なくないですね。

これだからハイビジョン放送は楽しい!(^^)!。

2:
レースについては特に言うべき事は無し。
選手の名前が分からんからね(汗)。

それでも編集が巧く、楽しく観ました。

3:
そんな中で気付いたのは、山岳区間で使うギア比が低くなった事。
フルームが登りで加速する時の脚の回転の速い事(@_@)。
あれは、インナー39じゃ不可能。
36だろうなぁ。



タグ ツール・ド・フランス



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エリック・クラプトンの自転車

『赤目四十八瀧心中未遂』を観て、読むと「迦陵頻伽」なんて言葉が出て来ました。
自転車界で「迦陵頻伽」と言えば、迦陵頻伽をヘッドバッジに使ってる田辺さんがやってる九十九サイクルスポーツ
そこのブランドが迦陵頻伽から来たカラビンカ
(HP→ http://www.kalavinka-bikes.com/index_j.htm )
何年か前、エリック・クラプトンが日本に来てオーダーして手に入れて話題になりましたな。

その昔は、チネリスーパーコルサに乗ってました。
以下、Winning BICYCLE RACING ILLUSTRATED誌 1987年6月号から。
クラプトンは1980年代中頃、家族と共にイタリアはミラノ近郊に住んでいたそうな。
で、チネリスーパーコルサをオーダーしました。
色は例の赤。
サイズは不明ですが、600㎜はありそう。
フレームには”Slowhand”と書いてもらったとか。
チネリの店の前でアントーニオ・コロンボとスーパーコルサを前に握手してる写真付き。



タグ エリック・クラプトン チネリ スーパーコルサ カラビンカ 迦陵頻伽 ロードバイク 九十九サイクルスポーツ



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『激走!日本アルプス大縦断』

ツール・ド・フランス番外編その1

トランスジャパンアルプスレース(Trans Japan Alps Race=TJAR)

○放送
2012年10月13日(土)
NHK総合
午後7:30~8:43

NHKスペシャルで放送された富山から静岡まで日本を縦断する全長415㎞の驚異のマラソン(@_@)。

参考→NHKのサイトその1 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1013/
   NHKのサイトその2 http://www.nhk.or.jp/special/eyes/15/
   TJARのHP http://www.tjar.jp/

1:
録画してから、10ヶ月近く経ってから観ました(汗)。

2:
必要最低限度の山用品を背負ってマラソン。

標高3,000m越え、疲労、寝不足、風速20m/s、気温10℃、雨、

疲れれば登山道の横で仮眠、地元を通れば応援団、コース途中で家族が応援に来ている、

交通規制無しの公道型レース。

一つ一つがツールやジロの創世記を彷彿させるレース。

ああいう感じだったんだろうなぁ。

3:
ロードレースの歴史に興味が有る方にはお勧めの番組です。
DVD、発売中。



タグ ツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア トランスジャパンアルプスレース TJAR



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1998年ツール・ド・フランスで30人がドーピングの疑い

1:
2013年7月25日(木)、朝日新聞朝刊の記事によると、

>フランス上院の調査委員会が24日に発表。
ドーピング陽性(=エリスロポエチン使用)が18人。
>使用した疑いが有るのが12人。
>陽性の内二人は、マルコ・パンターニ(総合優勝)とヤン・ウルリッヒ(総合2位)。
>今回の調査の狙いはフランスの今後の反ドーピング政策に提言する事。
>実態を正確に把握するために問題が多かった1998年を調査した。
>但し、正式な検査の手続きを経ていないため、成績抹消等の処分は受けない。

予想通りの結果。


2:
“The Death of Marco Pantani” Matt Rendellから。

パンターニの基本になるヘマトクリット値は43.1%。
自然状態での値の変化の最大幅は10%とされています。
パンターニの場合、47.1%を超えるとドーピングとされ、
主な成績とその時のヘマトクリット値は以下の通り。
(同書のp.288の二つのグラフから見たおおよその値です)

1994年ジロ総合2位→58%
1994年ツール総合3位+新人賞→57%

1995年ツール・ド・フランス総合13位→57%
1995年世界選手権3位→60.1%

1998年ジロ総合優勝+区間2勝→48%
1998年ツール総合優勝、区間2勝→49%

1999年ジロ区間4勝、ドーピング陽性で失格→50%

(参考、この本についての私の記事→ http://cypresshushizen.blog.fc2.com/blog-entry-1421.html )


3:
同書p,290から

There is incontrovertible evidence that Marco’s entire career was based on r-EPO abuse, which was both
effective and, until 2001, undetectable by tests used in professional cycling.
Is it reasonable to suppose that the most successful period of his career, from 1998 until 5 June 1999,
depended on anything else?

拙訳
マルコには、現役時代の全期間中に遺伝子組み換えEPO(r-EPO)を不正に使用した明白な証拠が有る。
この薬物は効果が有り、同時に2001年までプロロードレース界で使ったテスト法では検出出来なかった。
マルコの現役時代で一番成績が良かった1998年から1999年6月5日までの期間、他の何かに頼るものが有ったと仮定するのは納得いくだろうか?

“entire”→ランダムハウス英和辞典によると「完全無欠の全体を意味する」と定義。つまりプロになると同時にEPOを使い始め引退(笑)まで使い続けたとレンドールは書いてます。


4:
医師の倫理規定の一つ、ヒポクラテスの誓い。
(参考→ 金沢医科大学のHPから http://www.kanazawa-med.ac.jp/information/material.html#07 )
その中に一つ、

>私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害を知る方法を決してとらない。

エリスロポエチンは劇薬に分類され、素人には扱えない物。医師や医療関係者でないと使えません。
その辺の薬局へ行って買える商品でもありません。
オマケに健康な人に使うと血栓が出来やすくないます。


5:
結論
パンターニは卑怯な人間でした。

それでもね、
Requiescat in pace
みまかりし人に冥福あれかし



タグ ドーピング EPO エリスロポエチン パンターニ ウルリッヒ



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朝日新聞が2013年ツール・ド・フランス全区間報道(のはず)!

題名の通り確認はしてませんが、毎日記事が有ったはずです。
空前絶後の出来事です。
今迄は途中数区間と総合優勝について載る事は有っても、(多分)全区間の記事が載るとはねぇ…

まぁ、今回が100回目と言う事と、日本人の新城君が出て完走しそうだったからでしょう。

喜ばしい事には変わりありません!(^^)!。

来年はどうかなぁ…

日本人選手出場次第と、完走の可能性によるでしょう。



タグ ツール・ド・フランス



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ツール・ド・フランスその4

紙の中のロードレースその12

ツールでの痛い話

ツールでレース中骨折した選手と言えば、最近だと2003年のタイラー・ハミルトン。
私に世代で直ぐ思い出すのが、1975年のエディ・メルクス、1983年のパスカル・シーモンとかがいますな。

更に調べるともっといまして、例えば、2013年に奇跡の出版になった
ツール・ド・フランス 100回 グレートヒストリー ~祭りの日々~』
(p.89)にも出て来る
オノーレ・バルテレミ(Honore Barthelemy)
( 参考→ http://www.cyclingarchives.com/coureurfiche.php?coureurid=966 )
はもっと痛い目に遭ってます。

1:
バルテレミのツールの成績は新城君なんかとは比べようもなく素晴らしい。
1919年のツール。
第一次大戦後最初のツール。
初めてマイヨージョーヌが使われたツール。
この年、全15区間中、4区間で優勝。
最終成績は5位。
体調が良かった様で、ツール開始前の体重は69㎏、終了後が68㎏。
この年の優勝者のランボ(Firmin Lambot)は64㎏で始まり、63㎏で終わったのと同じく1㎏しか減りませんでした。

2:
そして、翌1920年のツール、7月11日(日)、ペルピニャン(Perpignan)からエクサン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)へ向かう325㎞の第8区間。
この区間でバルテレミは落車。
顔から地面に突っ込み、出血、ふらふら。
再び走り始めるますが、腕と背中は痛いし、目は霞む始末。
暫く進むと背中と腕に痛みで前傾姿勢が取れず、ハンドルの上下を反対にして走り続けました。

更に進むと大変な事に気付きました。
何と、目が霞んでいるのではなく、片目が見えなくなっていました(@_@)。
先程の落車で燧石(すいせき=火打石)の破片が目に刺さったのです。
この時、肩を骨折し手首を脱臼しているのはまだ分かっていませんでした。

バルテレミは棄権することなく、アルプスを初め残りの区間も走り切り、総合順位はフランス人最高の8位でした(@_@)。
この年のツールは優勝したフィリップ・ティス(Philippe Thys)を筆頭に、7位までをベルギー人が占めましたから、
ケガをしながらも完走し8位になったバルテルミをゴールのパルク・デ・プランスで大歓迎したのを想像出来るでしょう。

3:
今の考え方ならこの時点でバルテレミは引退でしょうが、しませんでした。
1927年まで現役を続け、
なんと翌1921年のツールでは第12区間(ジュネーブ~ストラスブール、371㎞、7月18日(月))で区間優勝、
最終総合成績は3位!
オマケにフランス人最高位!

義眼を付けて走ってました。
歩いてる時や路面状態がいい道路では問題有りませんでしたが、砂埃には弱かった。
走ってる時に埃っぽい道になると、義眼を外し脱脂綿を眼窩に入れてたとか。
涙がちゃんと出ないのでそうしないと、目が爛れました。

4:
1924年のツールでの話。
この年にツールは、オッタビオ・ボテッキア(Ottavio Bottecchia)がイタリア人として初めて優勝。
ペリシェ兄弟がデグランジュの独裁的な運営とルールに怒り、ボイコット、棄権。
棄権直後にペリシェ兄弟から話を聞きプチ・パリジャン紙(Peite Parisien)に記事を書いたのがアルベール・ロンドル(Albert Londres)。
「街道を走る徒刑囚」(Les forcats de la route)と言う題名に埋め草記事にすぎませんでしたが、大反響を呼びました。

ロンドルはその後、第五区間(レ・ザーブル・ドロンヌ~バヨンヌ、482㎞、6月30日(月))で道路脇にいるバルテレミを発見、記事に書きました。
次の様な内容だったようです。


その男は自転車ではなく、顔を治していた。
義眼を外して拭いていた。
理由を尋ねると作ってから4か月しか経たず、慣れてなくて、目やにが出るそうだ。
痛いかと聞くと、
痛くはないが、脳みそが漏れてくると答えた。

義眼は完璧ではなく、落ちる事も決して珍しくはない。
バルテレミがゴール後に屈んで義眼を探したのも一回や二回ではなかった。
レースで賞金が入ってもレース中に失くすと代わりに新しいのを買わなくちゃならんので、
何のためにロード選手を続けているのか分からなくなる事もある。


5:
こういう歌われぬ英雄、ロードレースの巨人、街道の巨人、Geant de la Route、がいるんですなぁ。
感嘆の溜息がでます。


参考文献
上記に奇跡の本以外では、

Pro Cycling
La Fabuleuse Histoire du Tour de France
The official Tour de France Centennial 1903-2003



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『The death of Marco Pantani』

マルコ・パンターニの伝記。
著者は何回も参考文献に出て来る『Official Tour de France centennial 1903-2003』の英語訳を編集したマット・レンドール(Matt Rendell)。

1:
実に詳細に調べてある本です。
パンターニの本を読むのはこれで二冊目ですが、この本以降新たなパンターニ本を読む気を無くしました。
それ位詳しく調べてあります。
熱意、好奇心、探求心、行動力、徹底的にやる気質、日本人自転車記者に無い美徳を備えた人物であるのがよく分かります。

例えば、パンターニの生涯最初のロードレースの勝利だけでなく、
(→チェゼーナのヌオヴァ・カセ・カスタニョーリ・スポルト(Nuova Case Castagnoli Sport)主催のレース、1984年4月22日)
初めてTV放送に映ったと思われるレースまで調べています。
(→1987年7月7日フォルリ・モンテコロナロ(Forli-Montecoronaro)のヒルクライム、ジュニアカテゴリー)

更に驚きが、1995年10月11日、ミラノ~トリノでコースに進入して来た日産パトロール743と正面衝突し脛骨を複雑骨折。
この時、交通規制を巧く出来なかった警察の無線交信の写しが載っています(@_@)。

2:
パンターニファンは少なくないと思いますが、ファンの方々はパンターニの事をどう思っているのでしょう?
最後はコケインの過剰摂取で死んだ悲劇のヒーローでしょうか?

本書によるとパンターニのヘマトクリットの基準値は43.1%。
人間での値の変動は10%。
パンターニの場合最大でも47.1%。
ところが、1998年7月に49.2%、1999年7月には53%になっています。

私の掛かり付け医は第一線を退いた心臓外科医で血管心臓学会とか何とか言う所の認定医で血液と心臓の専門家。
認定番号が二桁だそうで、まぁ、じーさん先生です(笑)。

(因みに東大の教授陣はこの認定医の資格が無い先生が多いそうで、バイパス手術とか出来ないんだとか。
臨床医でなく研究家が多いんです)

その先生に本書P.288のパンターニのヘマトクリット値の二つのグラフを見て説明してもらったところ、
「こんなに変わるのは、高地トレーニングか腎臓障害が無いと起こらん。自然には起きない。変わるとしたらエリスロポエチンを使っている。」
と本書に書いてある事と一致。

当時エリスロポエチン(=EPO(=erythropoietin))は禁止薬物ではありませんでした。

倫理、道徳の問題です。
Wikiの日本語のページを見ると「走る哲学者」と黒いウィットで書いてありますな(笑)。
(参考→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8B )


こんな訳で、個人的には、パンターニはアームストロングと並び大嘘吐きであり、ロードレース界の面汚しだと思ってます。

(では、アンクティルは?
残念ながら検査すべき血液が残ってない様です(笑))

3:
実に興味深い本です。
英語に自信が有る方、お勧めします。
2006年の本ですが、まだ日本のAmazonでも購入可。安いヨ。



タグ パンターニ アームストロング EPO Matt Rendell エリスロポエチン



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JR目白駅横のツール・ド・フランス、巨大ポスター

東京、JR山手線目白駅の線路直ぐ脇にデサントの東京オフィスが有ります。
デサントが扱っているブランドの一つがルコックスポルティフ
ルコックスポルティフと言えば、ツール・ド・フランスのオフィシャル・ジャージ。
(→最初にオフィシャル・ジャージになったのは1967年?)
なので、目白駅の直ぐ横でツールの巨大ポスターを掲げて宣伝してます。
去年からやってます。

参考→ http://www.descente.co.jp/ 
実物はこの画像の右半分がモン・サン・ミッシェルの前を走る集団の写真になってます。
去年はシャンゼリゼを走る集団でした。

おそらく日本で物理的に一番デカいツールの宣伝ではないでしょうか?
去年と同じなら8月末まで掲げてるはずです。

お暇な折に目白駅まで行ってみて下さい。
ホームからよく見えます。


タグ ツール・ド・フランス デサント ルコックスポルティフ 目白駅


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朝日新聞夕刊第一面の一番目の記事がツール・ド・フランス!

2013年6月29日(土)
何と、朝日の夕刊の第一面の最初の記事がツールの紹介!

まぁ、今年のツールが100回目だし、他にデカい事件も無かったからねぇ…
グーグルのトップページもツール100回関連だしね。

ツールは1975年から知ってるけど、日本の主要全国紙で第一面の最初の記事になったのは、
地球が出来てから初めてじゃない?

熱心なロードレースファンとは言えない私ですが、それでも何やら嬉しい。

オマケにさいたま市で今年10月26日(土)に、
さいたまクリテリウムバイツール・ド・フランス
をやるとか
(参考→ http://saitama-criterium.jp/ )

毎日TVで各ステージを生放送されるし、エラく変わりました。

変わらんのはロードレースのジャーナリズム。
語学力皆無で勉強不足甚だしい。
この40年間で変化無し。


タグ ツール・ド・フランス 第100回 朝日新聞 さいたまクリテリウムバイツール・ド・フランス


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ツール・ド・フランスその3

紙の中のロードレースその11

1989年の逆転

1:
1989年のツールは最終第21区間(7月23日(日) ヴェルサイユ~パリ 24.5㎞)のタイムトライアルで、
グレッグ・レモン(Greg Lemond) がローラン・フィニョン(Lauran Fignon)に58秒差を付けて区間優勝。
前日の時間差は50秒でした。
つまり、1分48秒も差を付けたのです。
総合では8秒差で逆転優勝。

2:
この時、フィニョンは実は股ズレで苦しんでいたのです。
単にレモン対し力負けしたのではありませんでした。
第19区間のエクス・レ・バンにゴールした頃から痛み始め、最終日前夜は苦痛で殆ど眠れなかった様です。

3:
このタイムトライアルでレモンのギア比は多くの本では54×12になっています。
(シャニ―が書いた”Tour de France 1989”では55×12)

(参考→ある本ではレモンは55にしてくれと言ったけどメカニックは監督と相談してそれはいくらなんでも大き過ぎるとなり、
55に替えた振りをして54のままにしておいたと書いてあります。
その本を探したんですが、無い(@_@)。と言う訳でこの件は不明なのでカッコの中に入れておく参考にしておきます(笑))

そして特別に付けたのが、ブーン・レノン(Boone Lennon)が開発したスコットのクリップオン・バー(Scott Clip-on(aero) bars)。
市販品ではなく手作りの試作品。

レノンは最終日前夜初めてシャンゼリゼを車で走りました。
道路のデコボコ振りに驚き、こんな所で持って来たクリップオン・バーが持つか不安になりました。
一つのサイズしか無く、袋一杯分のシムで全ての選手用に合わせようと考えていたからです。

4:
最終日当日、選手のウォームアップエリアでレモンはクリップオン・バーを掴むと全身に力を込めて引き付けました。
レモンが首や両脚の血管を浮立たせる程力を込めているので、レノンは
「グレッグ、そんなに力を入れないだろう」
レモン、
「いや、一踏み毎にこれ位引くぞ」

すると、クリップオン・バーが動いた(@_@)。
下手をするとスタートに遅れるかもしれないと思ったら、一人のメカニックがコークの空き缶を拾ってきてハサミで切り、
シムとして挟みました。
そしてボルトを捩じ切れる寸前まで締め付けました。
(→この時のレモンと自転車を正面から撮った写真を見ると、左右のクランプとハンドルの間に赤い物が写っています)

5:
ウォームアップエリアでレモンが走り始めると、フィニョンも走り始めました。
フィニョンはレモンの後をしつこく付いて行きましたが、しばらくして二人がレノン達の視界から消え次に現れた時、
レモンの方がフィニョンの後に付いていました。

最終区間は24.5㎞のタイムトライアルで時間差は50秒も有ったし、試作のクリップオン・バーも走行中に緩む恐れも有りましたから、
レノンの方はレモンはもう諦めたかもしれないと思ってたんです。

これを見たレノンはレモンの奥さんのキャシーに、
「ねぇ、これはいけるかもよ」


6:
さて、フィニョンの方の話。
13㎞地点で21秒遅れになっていました。
最初はレモンとの時間差を教えられていたのですが、13㎞地点以降は誰も教えなくなりました。
時間差が分からなくなり、リズムを失ってしまったとフィニョンは言っています。


参考文献
BICYCLING
Cycle Sport
Maillot Jaune,the Tour de France Yellow Jersey
Tour de France 1989
The official Tour de France centennial 1903-2003



タグ ツール・ド・フランス 1989年 グレッグ・レモン ローラン・フィニョン ブーン・レノン クリップオン・バー


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テーマ : 自転車ロードレース
ジャンル : スポーツ

『The official Tour de France centennial 1903-2003』

1:
L’equipeが出した100 ans de Tour de Fraceの英語訳。
私のロードレースの記事でよく引用したり参考にしている本です。
10年前ツール100周年で出した本ですが、未だにAmazonの日英米仏加に中古が有りますな。
フランスのAmazonには、原著のフランス語版が有ります。
日本のAmazonに出てる英語訳は英か米の古本屋が出品してるヤツですが。

良く見ると記録に間違いが多いのですが、それでも非常に素晴らしい本です。
なぜ?
当時のロト紙(L’auto)やレキップ紙(L’equipe)から引用されている記事が全て一時資料だからです。
つまり、有名どころではピエール・シャニー(Pierre Chany)を筆頭に実際にレースを見た記者が書いた記事しか載ってないのです。
「!」です。
それを日本語では無理ですが、ちょっと無理すれば読める英語で読める!

アームストロングを筆頭にロードレースの醜さを含めロードレースを愛している方にお勧めします。
上記の「!」と同じ思いがある方は絶対手に入れた方が宜しい。

こういう本で英語を勉強すると楽しいですゾ。

2:
ところで私の場合、2003年に新宿の紀伊国屋で買ったんですが、¥7,250+消費税。
次に入った時は¥1,000程安かった(?_?)。
その次に入った時は、ペーパーバックになり、何と、\4,000台だった(@_@)。

何なんでしょう、これ(涙)。



タグ ツール・ド・フランス ピエール・シャニー ロト レキップ



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ジロ・デ・イタリアその1

紙の中のロードレースその10

ジロ・デ・イタリアその1

ステルヴィオ峠

1:
イタリア語で
Passo dello Stelvio
ドイツ語で
Stilfser Joch
標高2,758m

南西の麓の町が
ボルミオ(Bormio)
標高1,217m
距離19㎞
標高差1,541m
平均勾配7.3%


北東の麓の町が
チェングレス(Cengles)
(独語でTschengls)
標高887m
距離23㎞
標高差1,871m
平均勾配7.0%

1:
1975年は私が初めてスポーツ用自転車を親に買ってもらった年。
(→丸紅山口のべニックスSX-1027。27インチ(!)のスポルティフ。サイズ560㎜)
同時にサイスポ誌とニューサイ誌を読み始め、数軒の自転車店に足繁く通うようになりました。
その中の1軒がロードレーサーに比較的力を入れている店でミロワール・ド・シクリスム誌(Miroir du cyclisme)やケネディ兄弟社のツールとジロの各年の本を売ってました。
写真が多かったミロワールで初めて見るヨーロッパの選手達とロードレーサーのカッコ宜しいこと、カッコ宜しいこと、一目で虜になりました(^.^)。

1975年のツールの総集編も運良くTBSで放送されました。
(→次に放送されるのは1982年。最近興味を持ち出したの人達には想像出来ないでしょう)
そして翌1976年、衝撃の本と出逢います。
ジロ・デ・イタリアの本です。

2:

イギリス、ケネディ兄弟社刊『ツアー・オブ・イタリー 1975』(Tour of Italy 1975)。

当時の英語力は問題外の低さで読んでみようとさえ思いませんでした。
そんな訳で、パラパラ捲って行くと立山アルペンルートの毎年の開通直後の様な雪の壁の間を登って行く選手の写真がかなり入ってました。
そして、凄い写真が有りました。
雪の斜面の中の九十九折れの道を俯瞰で撮った写真です。
晴れているのは分かりますが、標高2,400m以上です!
先頭の選手(ガルドスFrancisco Galdos とベルト―リオFausto Bertoglio)、関係車両、そしてそんな冬山みたいな所に観客!(ざっと見ても写真の中に数百人)
雪の白、道路と人と車両の黒と灰色、三色の強烈な対比。
非常に美しい白黒写真です。
こんな標高の高い所でこんな雪の有る時にレースとやる主催者の熱意
(→当時は自転車専門誌を半年以上読み、また自転車屋の大将にイタリア人のアホ振りと熱狂を聞かされ「熱意」ではなく「アホ」だと思ってました(笑))、
それにこんな所へこんな時にわざわざ見に来る観客の熱意と愛情
(→これも「アホ」だと思ってました(笑))
も痛い程伝わる写真です。

数年後、読んでみるとこの年に最終区間第21区間のゴールがこのステルヴィオ峠だとか(@_@)。
頂上ゴールだけでなく、最終区間のゴールも峠の天辺。
こんな最後、他のレースで見たことなし、聞いたことなし(溜息)。

当時は「スゲェ~」と思いましたが、その後10年以上経って英語の実戦を兼ねて英語でロードレースの本を読みまくると、「過酷この上なし」と思いが変わりました。

3:
この写真に衝撃を受けたのは私だけではない様です。
最近サイスポ誌に写真を提供しているグレイアム・ワットゥスン(=グラハム・ワトソン Graham Watson)もその一人に違いないと私は思ってます。
殆ど同じ構図の写真を1994年のジロで撮っています。
ワットゥスンの写真集、
“20 years of cycling photography”
VELO press刊 2008年
のp,126の全面写真。

1975年の例の写真に衝撃を受けたとしか思えんです、私には。
特に雪の部分を白く飛ばし雪を強調している点ですね。

4:
次にステルヴィオ峠を目にするのは、1980年。
ジロの第20区間、ルノーチームのベルナドー(Jean-Rene Bernaudeau)とイノー(Bernard Hinault)が逃げ、ベルナドーが区間優勝した時。
見た雑誌はミロワール・ド・シクリスム誌の年間総集編、”Livre d’or”(=黄金の本)。
当時1冊\1,300程して、中々手が出ない雑誌でしたが、1年のレースがまとめて載っているので無理して買いました。

イノーは前年1979年秋にロンバルディア一周に勝ち、イタリア人にクラッシクレースに強いところを見せつけ、
更に敵地イタリアでグランツールにも勝ち誰が現在のロードレースの支配者か思い知らせてやりました。

後年イノーのインタビューを読むと、このステルヴィオの下りで、ベルナドーは、
「あいつ(=ベルナドー)はいかれてたな。カーブになっても全然ブレーキを掛けないで行きやがった。」

まぁ、こんな感じで私にとってイタリアの峠、ドロミテの峠と言うと、「ステルヴィオ」になりました。

5:
そして自転車以外でもこのステルヴィオ峠は出て来ます。
例えば私が持ってる本だと、カーマガジン誌2001年12月号。
アルファロメオ147の試乗記。
コースがミラノからステルヴィオ峠
自転車乗り達が写っている小さな写真も載っています。
記事を書いた齋藤浩之氏は、頂上で撮影を済ますと、ガヴィア峠を目指したとか(@_@)。


参考文献
上記以外では、
La fabuleuse histoire du cyclisme
La veridique histoire des Geants de la Route
Tour 80
L’annee du cyclisme 1975,1980
Dictionnaire du cyclisme
ジロ・ディ・イタリア 峠と歴史



タグ ジロ・デ・イタリア ステルヴィオ峠 ガヴィア峠



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ミラノ~サンレモその1

紙の中のロードレースその9

ユジェーヌ・クリストフミラノ~サンレモ

1:
クリストフ」と言えば私の世代だとフランス製のトークリップとトーストラップ。
安いのから高いのまで数種類ありましたな。
こんな遥離れた日本でも売ってた位ですから、引退後は金銭的には苦労しなかった様です。

2:
ミラノ~サンレモは私が最初に知った本場ヨーロッパのロードレース。
40年前の1973年、島野工業提供の自転車TV番組『素晴らしき自転車野郎』でこのミラノ~サンレモが取り上げられたはずです。
でも記憶が定かでないので、ひょっとしたらやらなかったかも(涙)。

3:
さて、クリストフは20世紀初頭のロード選手ですから、事故や事件は付き物で、この方はその中でも特に有名。
1913年第11回ツール・ド・フランス
7月9日(水)第6区間バヨンヌ~リュション(Bayonne~Luchon)
326㎞
ツールマレ峠で自転車のフォークが折れ、自転車を担ぎ麓のサント・マリー・ド・カンパン村(Sainte-Marie-de-Campan)までの14㎞を歩いて下りました。
そこの鍛冶屋でフォークを修理。
修理時間は4時間弱。
ツールマレ峠の頂上を首位で通過したのに、リュションへゴールしたのは首位のフィリップ・ティス(Philippe Thys)に遅れる事3時間50分(@_@)。

4:
クリストフミラノ~サンレモでも痛い目に遭っています。
1910年第4回での事。
この日は気温が低かったのですが、レース前半は道路の泥に悩まされました。
(→当時の道路事情はどこでも未舗装で悪かった)
しかし、最初の難関のトゥルキーノ峠を登り始めると雪が降り始め自転車から降り歩いて登りました。
この登りで先頭集団の選手は寒さのために一人また一人と棄権していきます。
峠を越えると雪が20cmも積もっていて場所によってはもっと積もっていました。
自転車で下れなくなると再び歩き始めました。
しばらく進むと腹痛になり片手で自転車を掴み、反対の手で腹を押さえて道路脇の岩に寄り掛かりました。
その内に寒さで体が動かなくなり、出来るのは首を左右に動かすだけになってしまいました。
その時クリストフが考えていたのは、このレースで優勝出来なかったら幾ら損するか。
自分が厳寒に晒され凍死の危機にいるのに気付いていませんでした(@_@)。
するとそこへ一人の男性が通り掛かりそのまま過ぎ去ろうとしたので知っているわずかなイタリア語で叫びました。
“Signor, signor, casa, casa!”
(→君、君、家、家!)
クリストフは案内されると言うよりは、引き摺られて建物へ連れていかれました。

その小さな建物は実際には小さな宿でした。
薪ストーブのそばでラムのお湯割りを飲みながら体を動かし手足の血行を良くしていました。
その間も窓から目を離さず他の選手を警戒していました。
25分後、宿主から長ズボンを貰うとここにいた方がいいと言う宿主の忠告に耳を貸さず再び走り出しました。

この時点でクリストフを抜いた選手は4人。
この4人をクリストフは「泥だらけの袋」とインタビューで言ってますから天候と道路状況がどんなもんだったか想像出来ます。

結局クリストフは4人を抜き優勝します。
12時間24分
281㎞
平均時速23.33kmh

平均時速が大会史上最低で当日の状況がよく分かります。

この後クリストフは低体温症のために1ヶ月入院。
更に真面にレース出来るようになるまで2年掛かったとか。

5:
Geants de la Route
「路上の巨人」とロード選手を敬意を込めてフランスでは呼びますが、1910年のミラノ~サンレモで優勝したクリストフは正にその典型。


参考文献
La veridique histoire des Geants de la Route
La fabuleuse histoire du cyclisme
La fabuleuse histoire du Tour de France
The official Tour de France centennial 1903-2003
A century of cycling
Ascent, the mountains of the Tour de France
ツール100話、ツール・ド・フランス100年の歴史


タグ ミラノ~サンレモ クリストフ 素晴らしき自転車野郎 トゥルキーノ峠


テーマ : 自転車ロードレース
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ツール・ド・フランスその2

紙の中のロードレースその8

ロバート・キャパツール・ド・フランス

1:
私がロバート・キャパがツールの取材をしたのを知ったのは、アメリカの”Inside Cycling”誌が月間で定期刊行される前の準備号。
1986年の事でした。
(→この雑誌はその後どうなったか不明。現在ネットで検索しても出て来ません)
その後、1988年文藝春秋から『キャパ その青春』(原題”ROBERT CAPA : A BIOGRAPHY” リチャード・ウィーラン(Richard Whelan)著、沢木耕太郎訳)が出て早速確認しました。
そうしたら、書いてある、書いてある(^.^)。
間違っていませんでした。
奥付けを見ると著作権の発生年が1985年になっています。
つまり”Inside Cycling”の筆者は”ROBERT CAPA : A BIOGRAPHY”を読んでいたと考えて間違いありません。

キャパの本で有名なのは自ら書いた従軍記『ちょっとピンぼけ』ですが、この本は1942年から書かれているのでツールの取材については書かれていません。


2:
キャパが取材したのは1939年、第二次世界大戦前の最後の大会。
初めて山岳タイムトライアルが行われた大会。
(→但し、頂上ゴールではなし。第16区間その2 ボネヴァル・シュル・アール~ブール・サン・モーリス(Bonneval-Sur-Arc~Bourg-St-Maurice)
64.5㎞ イズラン峠2,764mを超える)

キャパは“パリマッチ”誌の依頼を受け取材。
(この時の原稿料は、お金ではなく欲しかったモーターバイクを貰ったとか)

その時撮った写真は、キャパの本や写真集によく載る様です。
私が持っている写真集には、少しですが載っています。
ロバート・キャパ展 “戦争と平和” 1984年 (p,63 小さな版で2枚)
ロバート・キャパ全作品展 1997年 (見開きで2ページ 8枚)
★CAPA’S EYE ロバート・キャパの眼が見た世界とニッポン 2004年 (見開きで2ページ pp.26~27 2枚)

載ってる写真の殆どは『キャパ その青春』に書いてある通り選手ではなく観客の写真。


3:
選手よりも観客の写真が多いのは世界中がキナ臭い頃だったからでしょうか?
それともスポーツに関心があまり無かったからでしょうか?
子供好きだったのは確かです。(→CAPA’S EYE p,77)

ツールの「周辺」の写真です。
一般的なツールの写真とはちょっと種類の違う写真です。
お暇な折にご覧になって下さい。


参考文献
上記以外では、
The official Tour de France Centennial 1903-2003
La fabuleuse histoire du Tour de France
Grands cols, les montagnes du Tour de France a velo


タグ ツール・ド・フランス ロバート・キャパ



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テーマ : 自転車ロードレース
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ミシュランのタイア

紙の中のロードレースその7

ミシュランのタイア

1:
19世紀後半、自転車が生まれ、自転車レースも始まり、その頃から自転車や自転車部品を作り、今でも作っているメーカーと言えば、

タイアのミシュラン

自転車のプジョー

自転車のビアンキ

くらい。

今回のお題は、ミシュラン


2:
ランドナーが身近な自転車だった私の世代でミシュランと言えば、650Bの赤タイアと白タイア。
非常に主張の強い色のタイアなんで一般的ではありませんでした。
私はウォルバーの「スーパーランドナー」を使ってました。


3:
次にミシュランの名前が大きく出るのが、1985年。
700Cでパンクに強く、トレッドがつるつるのスリック、しかもWO(=クリンチャー)の「ハイライト(HI-LITE)」シリーズが発売された時。
ロード用では80年代に入るとアメリカのアヴォセット(Avocet)や日本の井上タイアがパンクに強いWOを出しましたが、主流になるのはまだ先の話。
ハイライト以前の700CのWOは細い物が無く(→25Cが一番細かった)、またケーシングが硬かったため乗り心地とコーナリング性能が悪かった。
これらの欠点を解決したのが、ハイライトでした。
それでも値段が高価だったし(→1本\6,200)、トレッドが摩耗に弱く減るのが早かった。

個人的には使わず友達の車輪を使わせてもらっただけでした。
WOに変えなかった理由は金額。
当時は5本\5,000のチューブラが有り使い捨てで使ったり、
ケーシングとチューブの間にポリウレタンの薄いベルトを入れたウォルバーの「SP-1」シリーズもありパンクにも比較的強かった。
ネオプロSP-1は1本\2,500程でしたな。

またWOを使うにはリムとスポークを変える必要があり、これも躊躇する理由でした。
(注:スポークはそのまま使えますが、耐久性を考えるとリムを交換する時に同時にスポークを全部変える方が無難)


4:
さて、ヨーロッパのロードレースで「ミシュラン」の名前が最初に出るのが、
パリ~ブレス~パリ
1891年9月6日(日)
1,200㎞
参加選手206人
午前6:17スタート
優勝:シャルル・テロン(Charles Terront) 71時間18分(=2日23時間18分!)
9月9日(水)午前6:35ゴール
使用タイア:ミシュラン製取り外し可能空気入りタイア

まぁ、この辺まではミシュラン特約店のHPにも書いてあるので、更に詳しい事を。


4-1:
19世紀末、無垢のゴム製タイア「ボーンシェイカー」(=bone-shaker=骨を揺るがす物)に対し、
スコットランドのジョン・ボイド・ダンロップ(John Boyd Dunlop)が「ゴム製のチューブに空気を入れ布で保護する」タイアを開発し、
特許を取りました。
このダンロップが開発した「ソーセージ」と呼ばれたタイアはボーンシェイカーより衝撃と振動の吸収性に優れていましたが、
リムに糊付けしてありパンクの時には無数の工具を使い複雑怪奇な手順を行わねばなりませんでした。
そのため修理の説明書は60ページにも及びました。

1889年のある春の日の昼下がり、フランスのクレルモン・フェラン市のミシュランの工場に自転車と自転車乗りを乗せた牛車が到着。
ダンロップのソーセージの1本がパンクしてました。
工員達はまだ珍しかった空気入りタイアに好奇心を刺激され、困った自転車乗りのために一肌脱いでやろうと奮闘しました。
おかげで修理は3時間で終わりましたが、糊の乾燥に時間が掛るので引き渡しは翌朝になりました。
(→現在のチューブラと同じ物と思われますが、詳細不明のため「糊」と「糊付け」にしました)
翌朝引き渡しの前、ミシュランの社長エドゥアル・ミシュラン(Edouard Michelin)はこのタイアに非常に関心が有ったので、クレルモン・フェラン市街へと走り出しました。
しかし、数分後戻って来ました、自転車を押しながら。

このパンクがエドゥアル・ミシュランのタイアを改良したいという興味に火を点けたと言っていいでしょう。

エドゥアル・ミシュランが掲げた目標は、
「15分以内にチューブを交換する。
方法は単純にする。
専門家を不要にする。
言い換えると、一般人が頭を悩ますことなく自分で修理できる取り外し可能タイア」

2年間の試行錯誤と努力の結果、3件の特許を含み完成。
3件目の特許の日付は1891年8月14日。
パリ~ブレス~パリのスタートの24日前でした。


4-2:
ミシュラン社はパリ~ブレス~パリには、実は、最初にテロンではなくこのレースで2位になるジョゼフ・ラヴァル(Joseph Laval)に接触しました。
ラヴァルは当時ダンロップと契約中であったのとミシュランの革新的取り外し可能タイアは現物が無く設計図しか無かったため契約しませんでした。

さて、ミシュラン社はテロンのパリ~ブレス~パリでの勝利がゴール前日に明らかになったので宣伝用のチラシを作りテロンがゴールすると同時に観衆に配りました。

4-3:
パリ~ブレス~パリでテロンはブレスの手前60㎞のモルレクス(Morlaix)でパンクしレースに復帰するのに42分掛かりました。
ミシュラン社はこの事実を見て見ぬ振りはせず、更に改良を重ねました。
その結果を発表したのは3か月後の12月、ロンドンのスタンリー自転車ショー(Stanley Cycle Show)でした。
このショーでミシュランの技術者は1分55秒でタイアを外し、来客にも実際に外させました。
速い人だと2分、遅くても4分で外せました。
他のタイアメーカーがこのデモンストレイションを見せ付けられどう思ったか想像に難くありません。

このタイアがミシュランの「デタッチャブル」(Detachable)です。

この事をキッカケにミシュラン社は大いに発展していくのです。


4-4:
当時のミシュランを率いていたのは、2人の兄弟でした。
兄がアンドレ・ミシュラン(Andre Michelin)で、建築家を目指していましたが広報と渉外を担当。
弟がエドゥアル・ミシュラン(Edouard Michelin)で、画家志望でしたが、開発と生産管理を担当。

5:
ツール・ド・フランスとミシュランで私の世代が思い出すのは、最近は見掛けなくなったキャラバン隊のビバンダム(Bibendum)の着ぐるみ。
やっていたのは、1973年から1989年まで。
モーターバイクに乗って立ち上がり両手を上げたり等の軽業を演じていました。
このモーターバイクで17年間軽業をやっていたのは、フィリップ・シャピュイ(Philippe Chapuis)。
ローラースケートの元フランスチャンピオンだそうです。



参考文献
La fabuleuse histoire du cyslisme
The Michelin Man, 100 years of Bibendum
Cycle Sport
Pro Cycling
Bicycle Club 1985年9月号
Miroir du cyclisme
Winning bicycle racing illustrated



タグ ツール・ド・フランス ミシュラン



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マルティン・”コチセ”・ロドリゲス・グティエレス

紙の中のロードレースその6

マルティン・エミリオ・“コチセ”・ロドリゲス・グティエレス
Martin Emilio “Cochise” Rodriguez Gutierrez

コロンビア史上、最強の選手。
サンチャゴ・ボテロ(Santiago Botero)以上の成績を残した偉大なコロンビア人。
御存じの方、いますかな?

1:
まず、詳細な記録は、
→ http://www.cyclingarchives.com/coureurfiche.php?coureurid=2096

1942年4月14日生まれ、

主な勝利
1971年 世界戦アマ個人追い抜き

1973年 ジロ第15区間
     トロフィ・バラッキ(ジモンディと共に)
1975年 ジロ第19区間

そして、
1970年 アマアワレコード(屋外)
    メキシコシティー
    10月7日
    47.553㎞

2:
森師匠の若い頃、こんな凄い人がコロンビアにいたとは…(溜息)。

1961年、19歳の時に母国のヴエルタ・ア・コロンビアに初出場し最終成績が総合2位。
当時のコチセを知ってる人の話では、19歳にして既に完璧なロード選手で、最近の選手に例えるとミゲール・インドゥラインみたいっだそうです。
誰が見ても将来大物になるのが分かる選手だったらしい。

一人で走る時の快速振りは素晴らしく、
1968年(24歳)の時、メキシコオリンピック個抜きで当時の4,000m記録を破った4人の一人でした。
そしてロードでは、9位。

3:
メキシコでアワレコードに挑戦した時、資金と自転車を提供したのが、ジャチント・ベノット(Giacint Benotto)。
(→モゼール(Francesco Moser)が1977年世界戦プロロードで優勝した時の自転車。翌1978年には、パリ~ルーベにも優勝)
おそらくこの提供がアマ規約に抵触したらしく、1972年の世界戦には出場不可。

4:
そのため翌1973年にプロに転向。
チームがビアンキ・カンパニョーロ。
チームメイトだったジモンディ(Felice Gimondi)やリッター(Ole Ritter)がコチセについて語った事をまとめると、

登る技術が大変良かった。
それだけでなく平地では集団を50kmhで引く事も出来た。
逃げの集団を引き戻したい時にコチセに頼むと、コチセは馬鹿デカいギアを踏んでいったものだ。
これもトラック競技のおかげだろう。
もしコチセが22歳か23歳の時にヨーロッパに来ていたら、チームのリーダーになりジロの2区間優勝よりもっと優勝出来ただろう。
コチセはスプリント力も有り、山にも強く、タイムトライアルでも速かった。
もし自分のために走れたら、もっと多くのレースで勝てた。
またコチセはいつも機嫌が良く、チームの中では歌ったり冗談を言っては皆を和ませていた。

5:
日本人ロード選手が逆立ちしても勝てない無名のコロンビア人。
世の中には凄い人がいるもんです。


タグ ロドリゲス コチセ アワレコード



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プロフィール

CYPRESS

Author:CYPRESS
最近好きな女優は杉村春子と中谷美紀。
好きな監督は黒澤明と張藝謀。
気になる監督は堤幸彦。
山田孝之の実力が分かってきました。

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