『原爆の子ー広島の少年少女のうったえ』 岩波文庫版上下巻
初版1951年(昭和26年)10月2日
1:
GHQによる検閲が終わったのは、1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ講和条約が発効された時。
言い換えるとGHQ(General HeadQuarters、連合軍総司令部)とSCAP(=Supreme Commander for the Allied Powers、連合軍最高司令官)の進駐が終わった時。
検閲を実行したCCD(=Civil Censorship Detachment、米軍民間検閲支援隊)の検閲指針が30項目在り、
その一つ(第五項目目)が、
合衆国への批判
(→江藤淳『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』文春文庫版p,238)
広島の惨状を伝えるこの本を出版する事はこの項目に抵触するのによく出版出来たもんです(@_@)。
この検閲のため広島と長崎の惨状は、当時、殆ど伝えられず、日本だけでなく世界中で反響を呼んだと解説に書いてありますが、
その通りでしょう。
2:
題名の通り被爆した子供達に被爆後6年目に手記を書いてもらい集めた本。
まず、この本、構成がかなり巧い。
この点に関しては、後ほど。
手記の文章に関しては、ハッキリ言って、子供達の文章なので覚束ないものが殆どです。
しかし、そういう大したことない文章でもその量が多ければ何でもない水滴が落ち続ければ岩に穴が開く様に心に響いて来ます。
熱線、衝撃波、放射線により直接ケガや障碍を受けなくても犠牲者を見た、臭った、触れた衝撃と恐怖、その記憶、
自分が生きるために家族や友達を見捨てねばならぬ悲しみ、苦痛、罪悪感、
(→当然なんですが予想より多くの子共が経験しています)
破壊された町並みと火災の衝撃と恐怖、
肉体と心の苦痛、貧困、生活の苦しさ、家族を失う悲しみ、家族がいない寂しさ、漠然とした不安、原爆症の苦痛と恐怖、それがいつ発症するか分からぬ恐怖、
こういうものが行間から僅かづつ立ち上り凝結、集積し、気が付けば心の弦に触れ音を立てているのです。
3:
子供達の文章でいいのは、特に幼い者ほど年長者に対する言葉遣いが丁寧で感心しました。
小津安二郎の映画では大人でも年長者に対しては言葉遣いが丁寧なのと同じです。
年長者を敬う戦前の良き教育の名残です。
4:
子供達の思いも反戦、反核ですが、強弱があり好ましい。
アメリカに対する反感、憎しみを書いた子供もいて、これも好ましい。
感じ方、考え方に多様性があり好ましい。
5:
しかし、この2冊の中で一番劇的、圧倒的で現実感があるのは、編者で旧制広島文理科大の教授だった長田新氏が書かれた「序」の中で子供達が書いた原爆投下瞬間の描写を集めた箇所。
文庫版上巻p,42から54まで。
映画やドラマの短いカットを繋げたのと同じ効果が有ります。
当時、子供達が何をしていた最中だったかまざまざと、そしてありありと眼前に浮かび上がってきます。
そして閃光が満たされた後、爆破の大音響が響き、1,000℃以上の熱線、マッハステムと呼ばれる合成された衝撃波、放射線で焼かれ、吹き飛ばされ、体を破壊されたのでした。
この原爆爆発後も想像しやすくなるのに、驚きました。
それから少々覚束ない手記を読んでも、各自の覚束なさが逆に当時の困惑や恐怖、苦痛、苦悩のためだと納得させる「妙薬」なっています。
だから私の様なひねくれ気味(笑)の人間にも文章が素直に心に入りやすい。
編者の長田先生がこういった効果を狙ったのかどうかは分かりません。
それでも当時の教育者ですから読書量は現在の人間が敵うはず無いでしょう。
膨大な読書量のおかげで無意識的な感覚でもこういう構成に出来たのではないでしょうか?
6:
ところで、この引用の中に後に『はだしのゲン』を描く中沢啓治氏の手記からの引用も有ります。
(→文庫版でp,50)
7:
戦争の被害者の立場から書かれた佳作です。
それもどうする術も力が無い子供達です。
是非御一読を。
タグ 原爆の子 広島の少年少女のうったえ
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