★簡単な紹介
〇公開
1953年11月3日
〇スタッフ
脚本:野田高梧、
小津安二郎演出:
小津安二郎撮影:厚田雄春
音楽:齊藤高順
プロデューサー:山本武
〇出演者
笠智衆(平山周吉)
東山千榮子(平山とみ)
原節子(紀子、戦死した次男平山昌二の嫁)
杉村春子(金子志げ、長女)
山村聰(平山幸一、長男)
三宅邦子(幸一の妻文子)
香川香子(平山京子、次女)
東野栄治郎(沼田三平、周吉の旧友)
中村伸郎(志げの夫)
大坂志郎(平山敬三、三男)
十朱久雄(服部、周吉の旧友)
長岡輝子(服部の妻)
他
★評
黒澤明とアメリカに渡ってからのヒッチコックをほぼ観て、さて次は
小津安二郎や溝口健二を観ようかと思ったら映画やドラマを観るのを止めちゃったからなぁ。
だから観ようと思ってから、何と、
20年
も経っとります(汗)(^_^;)。
ヤレヤレ(溜息)
2005年発売のデジタルリマスター修復版を観ると…
1:
修復の具合は、まず映像の方はまあまあかな。ハッキリ言ってDVDのジャケットのスティル写真の方がかなりキレイです。
でも個人的には不満は有りません。
ただ映像の上下の揺れが目障りで、最初の方は視線が余計な揺れに向かい映画に集中出来ず困りました。
音声の方は、日本語字幕も出せますから問題有りません。
2:
最初のクレジットタイトルで流れる音楽が、大袈裟。
映画の内容を考えるとこんなに仰々しい音楽は不要。
しかし映画本編では逆に殆ど音楽が入らず、中々好ましい。
3:
物語はDVDのジャケットの解説によると「親子の断然」。
子供が仕事をし、家庭を持つと親が煩わしくなる、という事。
それを親と子両面から描いてます。
60年近く経った2011年でも、この点は変わってません。逆に60年前には既に有った事が目新しく驚きです。
言い換えるとこの『
東京物語』も古典の一つです。
3-1:
Amazonのレビューを見ると子供達(→と言っても全員中年)を気に入らない方が多い様ですが、私にはかなり現実感があり巧い人物描写だと思いました。
両親を煩わしくも思い愛しくも思っているところが大変いい描写です。
昌二の嫁の紀子(
原節子)以外は、いかにも隣にいそうなオヤジとオバサン達です。
思春期になり精神も成長すれば、両親の欠点や嫌いな点が分かって当然。
それでも嫌いになりきれないのが親子であり、家族。
3-2:
長男幸一(山村聰)の孫二人が祖父母(
笠智衆、東山千榮子)に懐かないのも巧い描写です。
当時の交通事情を考えれば、孫達(特に次男の勇)が祖父母に会うのが初めてなのも十分有り得ます。
たとえ血は繋がってても生まれてから会わなければ、孫達にしてみれば祖父母も他人なんです。
3-3:
全体に会話が少ないのも日本的であり好ましい。
その中でも祖母とみ(東山千榮子)が危篤になった場面から葬儀の翌日迄の会話の少なさは、興味をそそります
子供達は何を思い、考えているでしょう?
物語を考えれば、
「もう少し優しくすれば良かった」
「もう少し年老いた両親の気持ちを考えれば良かった」
「義理を立てたんだからそろそろ帰りたい。仕事が詰まってるからな」
なんて事でしょう。
3-4:
子供達が年老いた両親を少々邪険に扱いながらも悲惨さが漂わないのは、
・言葉遣いが丁寧
・年長者に対する敬意を失ってない
からです。
言い換えると、日本古来の良い教育で育てられた(残念ながら)最後の世代だからです。
日本の伝統的な道徳教育の良さが表れ中々宜しい。
巧い脚本です。
3-5:
そしてこれにハッキリと対比しているのが、祖父母が長男の家へ来た時の孫達の挨拶。
孫達が祖父母に対し愛情を感じないのは構いませんが、長男夫妻がきちんと挨拶させないのは問題が有ります。
(→映画としては問題有りません)
長男実は中学生だけあり、帽子を取ってお辞儀しますが、次男勇は人見知りしてお辞儀さえしません。
自分達が両親から受けた躾の一つである「年長者を敬う」を子供達にやっていません。
志げ(
杉村春子)か紀子が離れた所で勇に教え諭す脚本にして欲しかった。親だと関係が濃密過ぎ反発しやすいので、優しい親戚の伯母さんや近所のオバサンのが言う方がいい。幼くても自分を客観的に見やすく反省しやすいからです。
ちょっと深読みになりますが、1945年を境に日本人が伝統的な道徳教育を失い堕落し始めたのが、早くも、そして明確に表れていると捉えるのも可能です。
ひょっとしてこの辺の変化を脚本を書いた野田高梧と
小津安二郎が敏感に感じ取り表しているなら、社会に対する関心が大変鋭い。そして大変素晴らしい脚本です。
3-5:
思いやりが深い紀子(
原節子)の台詞は謙遜に満ちていて、60年後の私には予想以上に新鮮であり、意外と悪くありません。
最後に周吉が紀子を褒めると「自分は偽善者なんです」と紀子は言います。
この「偽善者」は色々解釈出来ると思います。
私は、実は紀子も志げの様に周吉ととみを煩わしく思っていると思います。
しかし志げと違いその思いを抑えるだけの良心が有り、愛情も志げより強いと思います。
周吉ととみとは血縁が無いので、少々他人行儀であり、そのため精神的に適切な距離を取りやすく愛情を表現しやすいのかもしれません。
他人に自慢出来る程善人でない事を紀子は分かっている、と言うのが私の解釈です。
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テーマ : 邦画
ジャンル : 映画