『愛と死をみつめて』色々その8
最初の記事、
「ニュースの本棚」
1964年に売れた本
“日本”遠のき“ニッポン”へ
コラムニスト天野祐吉
こういう題材なら当然出て来ます、『愛と死をみつめて』と『若きいのちの日記』。
少なくとも順位表にはね。
この記事でも副題「“日本”遠のき“ニッポン”へ」の例に『愛と死をみつめて』が出て来ます。
引用されているのは、
1962年8月16日付のミコさんの手紙です。
私が持っている本で確認すると、
初版だけでなく、1990年大和出版版、2004年大和書房版単行本、現行だいわ文庫版、
全てで最初から二番目の手紙。
(→最初の方の手紙で見つけるのが簡単で助かりました(笑))
この引用されるミコさんの手紙が書かれる「日本語」について天野氏の文章を紹介しましょう。
>いま、こういう日本語を書ける若者が何人いるだろう。
世の中が変わるということは、実は“言葉”が変わるということであるんだろう。
>そのことは、小津安二郎さんの「東京物語」などを見ても、痛いほど感じる。
(→参考、私の『東京物語』の記事 http://cypresshushizen.blog.fc2.com/blog-entry-740.html )
確かに『東京物語』の日本語は聞かれなくなった類の日本語です。
この映画始め小津の映画は台詞の間が異様に長く、全然好きになれませんが、日本語の当たりの柔らかさは耳に心地いい。
これは間違いない事実で、小津の映画の美点です。
言葉が表す考えや感じ方が今と違うのは明らかです。
特に年長者への敬意がかなり前から無くなっています。
こう感じるのも戦後世代、団塊の世代から無条件に年長者を敬う事をしなくなったからで、いい面と悪い面の両方が有ります。
この辺の喪失感や違和感を事を私CYPRESSが感じるのは『東京物語』であって、個人的には『愛と死をみつめて』の日本語には感じません。
自分の日本語には同じような考え方と感じ方が有るからでしょう。
尤も私CYPRESSは天野氏が書いた若者では、ないな(笑)。
『愛と死をみつめて』が好きな方、私の様に『愛と死をみつめて』について何でも集めてる方、
早速本日付の朝日新聞を買いに行きましょう。
タグ 愛と死をみつめて 若きいのちの日記 大島みち子 河野實 1964年 天野祐吉
★お気に召しましたら、以下の全てのボタンのクリックをお願いします
↓
にほんブログ村
- 関連記事
-
- 『愛と死をみつめて』色々その8 (2013/10/20)
- 原作『愛と死をみつめて』その2 (2011/03/19)
- 原作『愛と死をみつめて』その1 (2011/03/19)